浄土真宗を憂う

東本願寺(大谷派)S寺事件の真相

第2回 老師は悔恨の涙に暮れ、御門徒にわびた(1/2)

はじまりはたった一人の出会いから

 S寺の名号本尊事件に触れる前に、住職を、孤立無援の破邪顕正に突き動かしたある劇的な如来のドラマを書かねばならない。
 それは約20年前にさかのぼる。

 水沢氏は、最初から大谷派教学を批判していたわけではない。むしろ、東本願寺改革派の中心的存在だった父・実圓氏の影響で、近代教学を信奉した一人でもあった。 

 その水沢氏を真実に目覚めさせたのは、長男・勝真氏(親鸞会講師)である。勝真氏は約20年前、本会とご縁を結んだ。親戚一同が大谷派寺院の水沢家にとって、どれほどの衝撃であったか、水沢氏の妻・照子さんは手記に書いている。

〈息子が親鸞会に入ってからというもの、家中悶々とした日が続きました。家族親戚中、大谷派の教学以外は邪道と思い込んだ者ばかり。特に舅(実圓氏)は、曾我量深、金子大栄先生以外の教えは仏法ではない」と公言するほどでした。
 たまに帰省すると、皆から冷ややかで、汚れた物を見るような目付きで見られる勝真が哀れでなりません。今になってみますと、哀れに思われていたのは私たちのほうだったのですが。
 勝真は帰宅するたび、舅と法論をするようになり、寄ると火花が散るほど、舅の罵声が響きました。

「おまえは親鸞聖人が死後を言われたと言うが、どこにそんなこと書いてある!邪教に迷いおって、おまえは寺をつぶす気か。さっさとここを出て行け」

帰省のたび、判で押したような結末でした。舅姑の憎悪の目は、私にも向けられ、

『不肖の子を生んだのはおまえのせいだ。おまえが寺をめちゃくちゃにした』

と責められます。夫も私も、精神的にギリギリまで追い詰められ、夜も眠れぬ日々でした。
 しかし、何度やめさせようとしても、頑として引かず、

「ほかのことなら何でも聞く。だけど仏法だけは、僕の求める道を進ませてほしい。お父さん、お母さん、どうか分かってほしい。高森先生のほかに真実の親鸞聖人のみ教えを説く方はおられない」

と、必死に懇願するのです。

「大谷派には多くの先生がいる。勝真こそもっと広い視野に立って考えよ」
と言っても聴き入れません。
 勝真は、やがて家中の反対による心痛からか、十二指腸潰瘍で倒れ、入院を余儀なくされたのです。しかし、その中でも真剣に法を求める姿に、どこか胸打たれる思いがしておりました。


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>>第2回 老師は悔恨の涙に暮れ、御門徒にわびた その2

 

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