浄土真宗を憂う

東本願寺(大谷派)S寺事件の真相

第2回 老師は悔恨の涙に暮れ、御門徒にわびた(2/2)

一変した実圓氏


 転悪成善−−。凡慮で計れぬ仏智が、S寺の一家にその不思議をあらわしたのか。発端は、前住職・実圓氏の入院である。胃ガンだった。
 昭和61年の冬。あの日を境に、実圓氏は一変した。
 見舞いに来た照子さんのひざに、すがりつくようにして、実圓氏は言った。

「おれが一生やってきた教学が一切力にならん。どうしてくれる。おれは死んだらどうなるんや」

 手術を終え、退院すると、別人のように、経典と真宗聖典に向かい続けた。
照子さんの手記に、その様子が記されている。
〈舅は何度も私に繰り返した。

「仏法のことは何でも分かったつもりで、人前で平然と話してきた。先生、先生と言われていい気になっていた。恥ずかしい。大馬鹿者だった」

 突然のその懺悔が何によるのか、当初理解できませんでした。ただ、死に向かった舅の心に大きな変化が生じたことだけは、確かでした。
 部屋には「無上妙果不難成 真実信楽実難獲」という『教行信証』のお言葉の掛け軸がありました。

「真実の信楽、獲ること難しじゃ。長綱はっておれん。間に合わん」

舅は何回も何回も繰り返すのです。

 その年の十月、勝真が本堂で初めて説法しました。
「後生の一大事」を真剣に説いてくれたのでした。病床の舅にも、ということでテープに録音し、その夜、舅に聞いてもらったのです。聞き終えた舅は感極まった声で、

「大したもんや、よくここまで求めてくれた。百点満点以上や。こう説かな、いかん。今はこういう説き方をせんようになったで、おかしくなったんや」

とまで言ったのです。
 主人も私も、耳を疑いました。今まで何度も法論の揚げ句、「寺を出て行け」と勝真に罵声を浴びせた舅の言葉とは信じられなかったのです。

「親鸞聖人は、死後のことなど説いとらん」

と言っていた舅が、

「後生とは死後生まれる世界、死後を説かないのは仏法じゃない」

と断言したのです。

 主人も私も、本当にこの説き方でいいのかと何度も問い返しました。

「おまえらは、この説いていることが分からんのか。勝真のように説かなあかん。あれこそ真実の浄土真宗の教えやぞ。おまえらには死ぬということがどういうものか分からんかもしれんが、後生は一大事や。ええか、分かったか」

 舅の真剣な訴えに、主人も私も今までのこだわりがパッと晴れた思いとなり、すぐ勝真に知らせてやろうと電話をかけました。

 主人が震える声で、「勝真、おじいさんがな、おまえの話を聞いて泣いておられた。おまえの言うとおり、後生は一大事と言うとるぞ」。〉

 知らせを聞いた勝真氏は、あまりの驚きに声を失った。
 6年間の思いがせきを切ってあふれた。

「よかった。やはり高森先生のおっしゃるとおりだった。よかったね、ありがとう」。

 ひざを折るようにして、その場に泣き崩れた。
 電話口からその声を聞き、父もまた、声を殺して泣いていた。

〈祖父は、臨終までの2ヵ月、見舞いに訪れる門徒の人たちに、

「申し訳ないことをしてしまった。ワシの教えてきたことは、全部間違いじゃった。本願寺の教学など今となっては何の役にも立たん。それがやっと分かったんじゃ。間違いを教えてきてすまなんだ。これからは、孫の話を聞いてくれ」

 布団の中からはい上がり、両手を突いて一人一人に謝っていたと、母から聞かされました。
 祖父の、姿にかけた説法に、父も母も大きく変わりました。葬儀の1カ月後、両親とともに高森先生に面会させていただきました。
「今まで、大変な誤解をしてまいりました。父の死を縁に、高森先生の正しさがハッキリと分かりました」
 両親が手を突いてわびてくれたのです。今では親子三人晴れて会員にならせていただくことができました。}

 実圓氏の通夜の説法は、遺言どおり、勝真氏が立った。祖父実圓氏の遺志を代弁し、「後生の一大事」を説き切った。集まった門徒から漏れ聞こえるすすり泣きは、やがて嗚咽へと変わった。みんなが泣いた。
「若さん、よくここまで成長してくださった」。門徒衆は口々に喜んだ。
 S寺は生まれ変わった。
 覚如上人以来の正しき伝統、法脈がよみがえった瞬間だった。
 先代の遺志を継ぎ、水沢氏は、正しい親鸞聖人の教えを伝えるために立ち上がる。

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>>第3回 親鸞聖人のみ教えに生きる

 

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