浄土真宗を憂う

西本願寺・東本願寺 浄土真宗各派のあるべき姿とは?

「親鸞今にいませば」

京都新聞 2006年1月26日号より

京都新聞 2006年1月26日号に、

「親鸞、今にいませば」と題する、

上山 大峻氏(浄土真宗教学伝道研究センター所長)の文章が掲載されている。
(以下は、その抜粋)

浄土真宗では、親鸞聖人の750回遠忌を5年後に迎える。

しかし、親鸞から750年近くを経た現在、浄土真宗は大きな困難に直面している。葬儀や法事などの行事の慣習とともに、この宗教の形式は残るであろうが、かつて人々を引きつけていた「浄土に生まれたい」という熱い思いと、それをかなえる阿弥陀如来への信仰はだんだん希薄になり、このままでは将来が危ぶまれているからである。私たち教団に帰属するものとしては、気になるところである。

(略)

科学的実証主義こそが正しい思考であるとする現代の人々は、「阿弥陀仏の救済」も「浄土の世界」も荒唐無稽な話にすぎないからである。

(略)

時代を科学以前に戻すことが不可能であるとすれば、親鸞を貫くすべての人々を救う願いを回復させるには、どうしたらいいだろうか。親鸞、今にいませば、ぜひアドバイスを受けたい。いずれにしても、「教え」の方を時代に対応させてゆく工夫は避けられないであろう。750回忌にあたっての最大の課題であろう

(以上、引用終わり)

 

 時代が悪いから、「教え」を時代に対応させてゆかねばならない、と言いたいようである。

 だから、「教え」が曲がっていくのだ。

 科学は手段。目的にはなりえない。

「弥陀の本願」は三世十方を貫く不滅の真理だということを、ご存じな
いようだ。 

 時代に対応させていかなければならないのは「教え」ではない。

「教え方」である。 

 真実の「教え」を知らないことが根本だが、現代人の悩みやニーズに応えるような布教をしてこなかったことを、本願寺教団は、猛省すべきなのである。

 

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