浄土真宗を憂う

浄土真宗を憂う

西本願寺・東本願寺 真宗各派のあるべき姿

 

浄土真宗寺院関係者の声

分からなかった後生の一大事

中浜 ミドリ(仮名)

「本願寺で、後生の一大事を聞いたことはないねえ。真実に出遇えた私は、幸せ者だね」

 と語る、中浜ミドリさん(仮名)は本願寺末寺で、今も坊守を務める。
 
 物心ついたころより、仏前で朗々と、蓮如上人の有名な「白骨の御文章」を読み上げる母の背中を見て育った。17、8になると、自分で手に取って繰り返し拝読するようになり、覚えてしまったほどである。流麗な文章に、世の無常がしみじみと感じられたという。

 しかし、分からない言葉が一つだけあった。「後生の一大事」である。
「御文章の最後に『後生の一大事を心にかけて』とあるけど、一大事って何?」
 母に尋ねても、ハッキリしなかった。
 28歳で真宗寺院へ嫁ぐと、自坊へ招待した布教使の説教を何度も聞いたが、後生の一大事を説明する人は、なかなか来ない。


情熱的な辻説法

 ある時、住職である夫の智康さんから、戦後間もない京都へ仏教の勉強に行った時の思い出を聞かされる。

「ものすごく情熱的に、辻説法している人に会ってねえ。
高森先生といわれる、学生服を着た若い方だった。弥陀に救われた体験を、自信いっぱい話されていたんだ」

 この時、後生の一大事を聞いた智康さんは、

「オレも、後生の一大事、皆に伝えねばならん」

と思い、帰郷した。ところが、住職の集まる会合でそう話すと、

「戦後の生活の苦しい今、地獄に堕ちる話なぞ、だれが聞くか。やめとけ」

と、猛反対を受け、悔し涙をのんだという。
 ミドリさんは内心、地獄に堕ちることが後生の一大事?私はそんな悪いことはしていない≠ニ、思った。
 ますます知りたくなり、布教使の話以外に、寺院関係者の会合にも努めて参加した。

「だけど、どの布教使も、後生の一大事を全く話さなかった。それよりも、会合で、寄付金の話をするばっかりでした」

知らされた心の罪

 昭和59年、転機が訪れた。東京で就職した次男の智洋さんから、電話で、

「こっちで親鸞聖人のお話を聞いているんだ。高森先生という素晴らしい先生に出会ったんだよ」
と聞いたのだ。

「高森先生……?」

 お名前を聞いてハッとした。
「その先生、お父さんも昔聞いて、いいお話だって言ってたよ」
「エー、そうなんだ。じゃあ、母さんも聞いてみてよ」

 同年9月、智洋さんに誘われるまま、高森先生のご法話に参詣。正座して聞法する大勢の若者の姿に、まず驚いた。そして、お聖教のご文を一語一語かみ砕かれるご説法に感動した。

 帰宅後、門徒の葬儀で参詣できなかった智康さんや、他県で役僧をしている長男にも電話で、このことを伝えた。
 智康さんは、
「ワシも聞きたかったなあ」
と残念がったが、長男は、
「親鸞会?本願寺とは違う団体じゃないか。困ったもんだな」
と言い、弟に文句をつけるため、東京まで飛んで来た。夜通しの法論の中で、
「地獄に堕ちるなんて、蓮如の独断だ」
と主張すると、智洋さんから、
「親鸞聖人も、『教行信証』に、もし弥陀の本願に救い摂られなければ、『昿劫を逕歴せん』※、未来永遠、浮かぶことはなかったであろうと言われているでしょ」
と切り返された。以後、反論しなくなったという。

「もしまた、このたび疑網に覆蔽せられなば、
    かえりてまた、曠劫を逕歴せん」(教行信証総序)


 苦悩の根元の「無明の闇」を、ここでは「疑網」と言われている。
「もしまた今生も、無明の闇の晴れぬままで終わっていたら、未来永劫、苦しみつづけていたにちがいない。危ないところであったなぁ」
と告白された親鸞聖人のお言葉。

智康さんが亡くなった年の7月、ミドリさんは初めて親鸞会館へ参詣する。各地で聞法を続けるうち、「後生の一大事」の真意が知らされてきた。
特に心に響いたのは、『大無量寿経』の、

心常念悪| 心常に悪を念じ
口常言悪| 口常に悪を言い
身常行悪| 身常に悪を行じ
曽無一善| 曽て一善無し
          (釈尊)

の金言だった。
「それまでは、地獄に堕ちるのは、強盗とか殺人とか、新聞沙汰になる犯罪者のことと思っていたのです。でも、心で思ったことも罪になるなら、毎日、どれだけ恐ろしいことを思っているか、私も地獄行きに違いない。後生の一大事とはこのことかと、初めて分かりました」
 今では、門徒の人たちにも、仏教の小冊子を渡し、後生の一大事を伝えるため、まずは因果の道理を話すようにしている。
「長男も、親鸞会館に参詣したことがあるんですよ。最近は、私が、
『こないだも、智洋と一緒に聴聞して来たよ』
と言うと、
『いいことだ』
って答えるようになりました。真実は親鸞会にあると、うすうす分かってきたのでしょう。」

智康さんは、病床に伏していた3年の間、東京から毎月、見舞いに来る次男の智洋さんから、
本当の親鸞聖人の教えを聞いた。
 亡くなる直前には、
「本願寺は、親鸞会のことを異安心だと言っているけど、本願寺は無安心じゃないか」
と語っていたという。
「『後生は一大事だぞ』と言い聞かせてくれた夫の声が、今も聞こえてくるようです。これからも、後生の一大事を心にかけて、弥陀のご本願を真剣に聞かせていただきます」
 中浜さんは、親鸞会館の講演会に、今も元気に参詣している。

 


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浄土真宗親鸞会 参考リンク

親鸞会と寺院の構図〜寺による被害〜

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